家庭内争議のゆくえ

その日の夕食はビーフシチューであった。仕事から疲れた表情で帰ってきて、一度も座ることなく食材を並べた台所に立った母は、いつものように家事労働を全くと言っていいほどやらない父に対して愚痴をこぼしつつ、料理を開始させた。偶然仕事が休みで一日中リビングのソファーに寝っ転がりながらテレビを見ていた父は、多少の反省と悔恨があるのか黙っている。しかしながらここで息子である私が要らぬことを口走ってしまった。
「親父も一日家にいたなら、飯くらい作っておけばよかったのに」
この発言が争議の火種となった。息子という味方を得た母は愚痴をますますヒートアップさせて、父を攻撃する。自ら家事労働に従事することに面倒臭さと恥しさを感じるくらいのプライドを持つ父だから、この攻撃には流石に耐えかねた。
「じゃあ、外で食ってくればいいんだろう?そんなに言うなら作らなくていいよ」
私はしまったと思った。私が何も言わなければ母の攻撃が増大することはなかったし、それによって父が我慢と道徳心の作用の限界に達することもなかった。しかも発言者が私であることから、父母の怒りの矛先が私に向いてこないことも問題だった。成人を間近に控えた年齢といえども父母にとってはやっぱり子供であり、対等な関係ではない。蚊帳の外にいた部外者がいきなり現れて、火に油を注いだ形となってしまったのだ。父が出て行った後、母はシチューを作るために昨晩から用意していた食材を包丁で切り分けながら涙を流していた。
「あなたがアレを言ってくれてよかったよ、良いきっかけを作ってくれた。とんでもないエゴイストなのよあの人は。もう潮時かも知れないわ」
今までギリギリで支えてきたアンバランスなジェンガの楼閣が隙間風に吹かれていとも簡単に壊れてしまった。私は戸惑いを隠せずにいたが、遅かれ早かれ崩壊してたわけだから気にすることないんだと、自分を慰めつつ、自室にとぼとぼと戻って行った。ちなみにその日のビーフシチューは争議の勃発が功を奏してか、煮込み時間が普段の倍近くになったらしく、皮肉にも非常な美味に仕上がっていた。
それからというもの父母は全然口を利かなくなってしまった。所謂家庭内別居というやつであろうか。以前から彼らには家庭内争議勃発後の1週間程度を冷却期間とする、換言すればプチ家庭内別居のような習慣があったのだが、今回に限っては1週間などという短期間で済むようなものではなく、最終的なディボースが容易に想像できるほど本格的な分裂であった。私と母の生活は普段とあまり変わることなく、寧ろ母の精神的疲労が緩和されたためか、普段よりも健康的かつ弛緩的な様相を呈していたように感じる。然しながら父の生活は激変である。母の担っていた家事全般を放棄された必然として、食事は勿論のこと洗濯までも父は自分で済ますようになった。これにより自宅において父を目撃する頻度は、ポケモンにおける色違い遭遇確率に相当するレベルにまで落ち込んだのである。
そして後日、今後の父母の関係を決定づける事件が起こってしまった。母の入院である。詳しいことはよく分からないが卵巣のあたりに腫瘍があるらしく、放置しておくと悪さをする可能性があるため今のうちに除去しておこうという旨の手術らしい。生還確率はこの上なく高く安全性の担保された手術ではあるが全身麻酔をするため、家族の承諾を得る必要があり、その書類への署名を母は私に求めた。
母の入院期間中、私は震えていた。私にとって母と言えば、毎朝5時に起床して飼い犬の散歩に出かけ、それから御茶ノ水にある会社まで満員電車に揺られながら出勤、退勤後も通勤時と同じくラッシュアワーに巻き込まれ、帰宅したら座る暇なくキッチンへ直行し私や父の食事を用意する、1日のタスクを全て消化し終えてホッと一息床に就くのは大体23時頃だろう、そんな生活を現在の住所に越して来てから15年近くも続けている正に超人的な存在であった。その母が5日間もの間、入院という極めてシリアスな重大事を理由に家を空けるのだ、今まで旅行やら家出やらで家を空けたことは何度かあったが、それとはやはり何か違うのである。失敗可能性の低さから言って、街中で交通事故に遭うと同程度だ、心配する必要は微塵もあるまい、と頭では分かっていても、母の永遠の不在が確かな悪意を持ってこちらに忍び寄って来るのであった。
その一方で父は、母の所在を私に一切尋ねなかった。どうやら母から入院の旨は一切聞かされてないようである。大方また何処かへ友人と旅行にでも行ったのだろう、と推理していたに違いない。私との会話も
「いつまでひとり?」
「金曜まで」
ただのこれだけである。
私も隠していたわけでは決してない、「where is your mother ?」の一言さえあれば答えようと思っていたのだ。然しながらこれがまたしても私のミステイクであった。後から分かった事だが、母は父が心配するのを期待していたのである。ここで私が知らせておけば、夫婦仲の改善する機会を設けられていたのかも知れないのだった。
母のサナトリウム生活が無事に終わり退院を迎えたその日、母は私に父の動向を尋ねた。上記の内容を包み隠さず説明し、母の居所を聞くに聞けなかった男性特有の自尊や含羞にできるだけの理解を求めたが、母は心配よりもプライドや含羞を優先してしまう男の心理に甚だ失望した様子であった。
私はこの数ヶ月間、父母の関係の変遷を見つめ、20年以上の関係継続をもってしても消えることのない人間本来のエゴイズムに一抹の恐怖を感じた。愛情の喪失と言えばそれまでかも知れない。しかし彼等がもっと素直な心を、互いに伝えることが出来たなら、今のような破局を迎えることは避けられたかも知れないのだ。現在母は最も有利な内容でディボース交渉を行うべく、財産分与等さまざまな情報の収集に励んでいる。弁護士やディボース経験者の知恵も借りる予定だとか。父母の離合集散に容喙するつもりは寸毫もないが、ただ一点、私の学費についてだけは潤沢な資金の調達を心の底よりお願い申し上げたい。