いじめについて

いじめは多くの場合娯楽で、いじめよりも楽しい事がないから、いじめに走ってしまうのだと思う。俺の学校はそうだった、校則がやたらと厳しくてスマホやゲーム、漫画の類の持ち込みが完全に禁じられていたから、生徒にいじめくらいしか楽しみがなかったんだと思う。(厳密にはスマホの持ち込みはできるのだが、校内での使用は禁止で、ホームルームの際に担任の教師に預けるというルールが敷かれていた。)そりゃもちろん、高校生にもなれば多少善悪の判断がつくようになるから発生頻度は格段に下がるけどさ。

俺がいじめに加担していたかって?それはすごく言いづらいことだけど、めちゃめちゃやってたよ。それもかなり酷い感じで。無視とかそういうレベルではなく、肉体的な接触を伴う、所謂分かりやすい暴力的ないじめをしてた。それで担任と学年主任と親を交えた四者面談で素行不良を改善するよう諭されたりもしたしね。
当時の俺の心境は今振り返ってみてもよくわからない、なぜあんなにもいじめをしていたのか。というか暴力で相手を打擲することになぜあそこまでの快楽?を感じていたのか。ほんとうに理解できない。ただなんというか、茫漠とした、精神の不安みたいなものがあって、それをかき消そうとして、暴力という手段に訴えて出ていたような気がする。単純に快楽原則に従ってやってた側面ももちろんあったんだろうけど、もっとメタレベルの話で、いじめの主体たる自分を俯瞰して、なおかつそれを正当化しようという試みや思考の回路すらあったような記憶もある。あとはいじめっ子というキャラに依存してたところもあると思う。いじめっ子、つまり暴力的な、何をしでかすか分からない、脅威的な存在として、自己のキャラクターをクラスメイトに認識させることで、クラス内のヒエラルキーの位置を維持しようとしていた部分はかなりあったように感じる。
でも暴力ってほら簡単でしょう?あと中学2年くらいだと、まだいじめが正当化されるような雰囲気があるけど、中3にもなるといじめはダサいみたいな風潮が徐々に出来上がってくる。そうなると俺が無意識のうちに獲得していた、クラス内の立場を維持するための戦略は中3では通用しなくなる。だから決定的に孤立する。そう、俺はほんとうに人が変わったように、暗くなってしまった。教室のいちばん隅の席に座って、文庫本の世界に逃避して、リアルを完全にシャットアウトするような、そういう自閉的な学生生活を送るようになってしまった。たぶん、ここからだなあ、俺が人とまともに関われなくなってしまったのは。まぁ要するに幼稚だったんですよね。