エゴイズムと避妊不可能性の癒着に由来する恋人関係の破綻

彼女に振られてしまった、付き合って3ヶ月と経っていない。その理由を問い訊ねると単刀直入に避妊をしてくれないからこれ以上付き合っていると更なるトラブルに発展しそうで怖いため次善の策として別れたいとのことだった。そう、俺は避妊ができないのだ。避妊ができないというのは正確に言うと避妊をしたくてもできない、アレルギーとかでは決してないのだが、俗に言うゴム萎えの欠陥を俺は抱えている。最初に付き合った彼女とセックスするようになってから俺は自分のこの症状に気がつくようになった。前戯を一通り済ませていざ挿入するという段になったとき、あらかじめ用意しておいた避妊具を男根に装着するわけだが、この時点でたいていの場合男根は硬度を失ってしまい、膣内に挿入することが困難になってしまう。膣内に入れることができたとしても、わずか0.01ミリの薄さであるにも関わらず避妊具越しの刺激は男根の怒張を維持するに足らず、必死に腰を動かし摩擦量の増大を図ったとしてもすぐさま男根は挿入維持が困難なレヴェルの柔らかさに戻ってしまう。前の彼女は俺の所謂コンドームEDの疾患に理解があったのかはたまた頭が弱くて妊娠に対するリスクヘッジの意識が希薄だったのか今となってはよくわからないが、ピルを飲んでいる様子もないのに毎回生でのセックスを許してくれていた。もちろん射精は膣外である。その彼女とは避妊するしないに関係なく性格上の不一致から交際の破綻に至ったわけだが、今回の彼女はそれがモロに直接の関係破綻の原因として機能したようである。付き合った直後に俺はゴムをつけてセックスすることができないということを告白したことがあった。そのとき彼女は驚きというか失望の表情を呈して、ゴムをせずにセックスをする男に対するある種の軽蔑混じりの言葉を並べ、もし私と肉体関係を込みで交際を続けたいのであれば、治療するなりなんなりして欲しい、それが無理なら別れるときっぱり言われた。そのときは俺もそれに同意し、ED治療に勤しむ意志を示したのだが、結果的にはゴムをせずに何度か流れに身を任せて、なし崩し的に、彼女は避妊してと小さな声で要求したが、俺はそれに耳を傾けることなく、適当にやり過ごして、事に及んだのであった。その経緯があったから、俺は彼女が最初に付き合った元カノ同様、避妊に対する認識が甘く、なんだかんだは言いつつもやらしてくれるものだと自分に都合よく解釈してしまった。しかし残念ながらそうではなかったのだ。彼女は生でセックスするたびに妊娠の危険に恐怖し、また自己の欲望の発散ばかりに注意を払い、交際相手の身体的ないしは精神的な負担を一切顧みない、あまりに自己中心的な俺の性格に対して幻滅、失望、憎悪を抱いていたようである。当たり前といえばそうなのだが、俺はそういったことを意に介さず、恋愛経験が少ないのも手伝ってだろうが、女というのは案外生でやっても平気なのだという間違った価値観を獲得してしまっており、それを健全で健常で、至って清潔な彼女に適用したのがそもそもの誤りであった。しかも彼女は処女だったのである。いま思えば処女を彼女が喪失する際、そのときももちろん生だったわけだが、男根を挿入し、行為に及んでいる最中、彼女は涙を流していた。俺はてっきり自分が長年(彼女は20歳である)守ってきた貞操を男に明け渡す際のえもいわれぬ感慨に心中が飽和され、わけもわからず涙を流しているのだろうかと極めて楽観的な解釈をしたものである。しかし、こうして関係が破綻した後にその解釈を訂正するならば、自分の処女喪失がこのような自己中心的、自己本位の男によって達成されてしまったということからくる恋愛幻想の破壊に由来する悲哀や悲愴、あるいは自己憐憫などが原因として機能していたと考えねばならないだろう。
俺は彼女に電話で別れを切り出されその理由を聞いたとき、それなら俺は君と別れたくないから、これはあくまで君の非難の対象が、避妊具をつけないという限定的な行為にのみ絞られていて、なおかつ未だ俺という人間に対する恋愛感情が冷め切ってしまっていないという前提のもとでの話だが、俺は君のもつ妊娠リスクへの危機意識について極めて重大な誤解をしていたからそれを俺は今後は正して、ED治療に励むことを誓うが、それでもダメか?といった旨の返答をした。答えはむろんノーであった。彼女は俺の性格は面白いので、友達として仲良くし続けたいとは思うが、彼氏にするにはちょっと厳しいと言っているようだった。ここのところはよくわからない、完全なる絶縁を宣言されたわけではなく、あくまでも友達関係にもどりたいとの申し出であった。あるいは俺はこうも言った。普通はこういう場合、いきなり別れを切り出すのではなく、もっと段階を踏んで、例えば不満があるのであれば、それを表明して相手に訂正を要求するなりすればよいではないか、なぜそれをすっ飛ばしていきなり別れという結論に飛びついてしまうのか、それほど深刻な嫌悪なのかと。しかしそうではないと言う。それならば友達になろうとすら言わないと彼女は言った。ただ、彼女からすると、付き合った当初に自分が生でやることに対して抵抗を強く保持している旨を伝えており、これが段階を踏むことにあたり、そこから雰囲気に流されて生でやることを容認してしまったが、でも心の中では嫌で、いずれ俺がED治療をするなりして、避妊した状態でセックスしてくれるようになると一縷の希望を抱いていたらしいのである。完璧な解釈の相違、意図の齟齬が生まれてしまっている。さっきも述べたように俺は生でセックスできたという経験から帰納的にこの子は案外緩いんだという結論を導き出し、それに安閑としてしまっていた。彼女自身も、それはわたしにも責任があると言っていた。わたしは流されやすく相手の要求にノーを突きつけることが苦手で、それが俺によって首肯を意味しているかのように受け取られてしまい、それについては反省の余地があるといった感じであった。
全体的に何から何まで徹頭徹尾俺が悪いという印象だが、なんだかどうしようもなかったような気もする。俺は自らの恋愛経験の希薄から、はたまた単純なエゴイズムによる認知の歪みからか、女が男が避妊をするか否かによってどれだけ相手の評価を揺るがすか、についてかなり偏った認識をもっていたようだ。今後もし、彼女ができるようなことがあれば、もちろん俺はそれなりにクズなので、相手に低用量ピルの服用の打診をするが(というか今回振られた彼女にもしていた、そしてそれは嫌だと言われた)、そのうえで無理だといわれれば文句を言わずに、また今度のようになし崩し的に、雰囲気に身を任せて、相手の意志を有耶無耶にして事を進ませるような真似はせず、ちゃんと相手の精神と身体への気遣いを念頭において、ED治療に邁進し、交際継続を図っていきたいと思う。
さきほどこの元カノの写真を眺めながら、元カノとの生セックスの思い出を脳裏にたぐり寄せて自慰行為に及んだ。こういう習慣以前はなくて、元カノでオナニーする人の気持ちが俺にはよく分からんかったのだが、さいきんはAVや素人のハメ撮りにもかなり飽きてきて、リアリティの探求の結実として、ふと元カノとのセックスを思い出して、自分を慰めることが多い。その生々しい苦悶とも恥辱とも恍惚とも形容できないようなみだらな映像だけが、俺を興奮へと導いてくれるような気がするのだ。